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第25回 台北映画祭

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ぐるっと!世界の映画祭 第25回 台北国際映画祭

自国映画の魅力を国内外に広めるべく、1998年にスタートした台北映画祭。2007年からは新人監督を対象とした国際ニュータレント・コンペティション部門も設立され、今年は日本から、蔦哲一朗監督『祖谷物語 ‐おくのひと‐』が12作品の中に選出されました。現地入りした蔦監督が、第16回大会(6月27日~7月19日開催)をレポートします。(取材・文:中山治美 写真:蔦哲一朗、内堀義之)

台北映画祭オフィシャルサイト→

鈴木清順監督特集も

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カタログ
台北映画祭のカタログ

台北映画祭は、台湾映画と海外の新鋭を対象とした二つのコンペティション部門をメインに、期間中、世界40か国から集められた160作品が上映される。日本からは招待作品として藤田容介監督『福福荘の福ちゃん』(今秋公開)の台湾プレミア上映のほか、特集上映「サマーラブ」部門で、二階堂ふみ主演『ほとりの朔子』、クラシック部門で鈴木清順特集も組まれた。『祖谷物語 ‐おくのひと‐』は昨年、東京国際映画祭「アジアの未来」部門で上映された際に、本映画祭のプログラマーが観賞し、国際ニュータレント・コンペティション部門に選ばれたという。

祖谷物語
映画『祖谷物語 ‐おくのひと‐』は7月26日から神戸アートビレッジセンターと香川ホール・ソレイユ、8月30日からシネマ尾道で公開。8月中旬には横浜のシネマ・ジャック&ベティでの公開も控えており、まだまだ全国で順次公開予定。

「映画祭スタッフは、35ミリフィルムで撮影したことに関心を抱いてくれたようです。そのフィルムで撮影した秘境・祖谷(徳島県三好市)の映像の美しさも評価していただきました」(蔦監督)

中山堂
映画祭のメイン会場となった西門町にある中山堂。日本統治時代の建造物。館内にはツァイ・ミンリャン監督がプロデュースするカフェ「蔡明亮珈琲走廊」がある。

35ミリフィルムへの思い

蝶ネクタイ
大阪の舞台あいさつの時に観客が、劇中に登場するバクテリアをイメージしたちょうネクタイをプレゼントしてくれた。その思い出の品を身に着けて映画祭にいざ、参戦!

蔦監督が参加した国際ニュータレント・コンペティション部門は、長編1~2作目が対象で台湾初上映が条件。第11回大会では『不灯港』内藤隆嗣監督にスペシャルメンションが贈られている。蔦監督は2回の上映でQ&Aを行ったが、ここでも話題はデジタル全盛のさなか、かたくなにフィルム撮影した理由を問われたという。「東京工芸大学時代、同級生がデジタルカメラを使用している中、自分は違う絵を撮ってきたという自負がある。またフィルムで撮れば、“自分が憧れてきた新藤兼人監督らの名作に近づけるのではないか?”という思いがあります」(蔦監督)。

映写室
上映会場の映写室。『祖谷物語 ‐おくのひと‐』は35ミリフィルムでの上映。右側に字幕を投影するため、フィルムをスクリーンに対して左寄りにずらして上映することに……。残念ながら映写状態は良くなかったという。

ただし映画祭の主流はデジタルで上映会場のほとんどがシネコンというのが現状だ。機材はもちろん技師者不足の問題もある。各映画祭を巡回している間にフィルムに傷がついてしまったようで、輸送や管理も今後の課題となりそうだ。

審査員に熊切和嘉監督

10minutes
国際ニュータレント・コンペティション部門グランプリは、韓国のイ・ヨンスン監督『10ミニッツ(原題) / 10 Minutes』。賞金60万台湾元(約204万円)を手にした。(1元3.4円計算)

国際ニュータレント・コンペティションのグランプリは、韓国のイ・ヨンスン監督『10ミニッツ(原題) / 10 Minutes』。定職に就けない主人公が体感しているストレス社会を風刺した同作は、上海国際映画祭香港国際映画祭での受賞歴もある。実は蔦監督とほぼ同じ映画祭を回っており、すっかり顔なじみ。映画祭が“サーキット”と称されるゆえんだ。映画祭によって賞の行方は拮抗しているそうだが、今回は蔦監督が受賞を逃し、「悔しいという気持ちがあるし、ライバルの存在は次回作へのモチベーションにもつながります。同時に映画祭を回っていると日本映画のレベルの低さ、特に技術面に関しては経験値が必要だということを痛感させられますね」(蔦監督)。

熊切監督
国際ニュータレント・コンペティション部門審査員の一人だった熊切和嘉監督(右)と蔦哲一朗監督(左)。

また今年の審査員の一人を、熊切和嘉監督が務めていた。「熊切監督からは『(影響を受けた)宮崎駿監督の受け売りではなく、蔦君の考えが見たかった』などの言葉を頂きました」(蔦監督)。先輩からの貴重なアドバイスも、次回作への励みとなりそうだ。

現像所を見学

二二八記念館
上映の合間に、1947年に起こった本省人(台湾人)と外省人(在台中国人)による対立の悲劇を伝える「台北二二八紀念館」を見学。戦時中は日本兵として従軍したというボランティアガイド(写真中央)から当時の様子を伺った。

上映の合間には、会場からほど近い「台北二二八紀念館」を訪問して台湾の歴史に触れ、台湾郊外の温泉保養地・烏來(ウーライ)まで足を延ばして自然を満喫した。また、通訳の方の人脈で、現像所「現代電影」を見学する機会を得たという。

烏來
『祖谷物語 ‐おくのひと‐』で故郷・徳島の自然を撮り上げた蔦監督は、台北近郊にある景勝地・烏來へ。温泉地ゆえ、自然と観光者向けの店舗が共存していた。
胡椒餅
台湾屋台の名物・胡椒(こしょう)餅に舌鼓。

「僕には地元・徳島をはじめ、四国を映画で活性化したいという思いがあります。今回、明治時代に吉野川が氾濫した時に、徳島から台湾に開拓民が来た(現在の台湾花蓮県吉安郷に吉野村があった)という話を伺い、台湾で撮ってみたいという気持ちが湧いてきました。その際、フィルムの販売と現像を行っている現代電影が力になってくれるのでは? という期待が持てました」(蔦監督)。映画祭が結んだ縁が花開く日も近い!?

現代電影見学
通訳のリンさんの人脈で、市内にある現像所「現代電影」を見学。コダック社の16ミリと35ミリフィルムの販売および現像を行っており、次回作を台湾で撮影する構想が膨らんだという。

参加の決め手は“招待”

誕生日
上映日の6月29日は、ちょうど蔦監督30歳の誕生日。映画祭スタッフがバースデーケーキで祝福してくれた。

蔦監督の台北滞在は4泊5日。映画祭側からは監督一人分の渡航費と宿泊費の招待を受けた。『祖谷物語 ‐おくのひと‐』の海外窓口は、海外映画祭とのコネクションを持つぴあフィルムフェスティバルになっていることもあり、作品は多数の映画祭に出品されているが、蔦監督が参加したのは香港、グラスゴー(スコットランド)、パンアジア(ロンドン)、全州(韓国)、上海(中国)、ジャパン・カッツ(ニューヨーク)、そして台北の7か所(2014年7月末時点)。いずれも映画祭側が渡航費などを負担してくれるか否かで選んだという。

授賞式後のアフターパーティー
授賞式後、グランドハイアット台北で行われたパーティー。審査員や同じ国際ニュータレント・コンペティション部門の監督と共に。

「中でも台北が一番ホスピタリティーが良く、烏來までアテンドの方が同行してくれるなどフレンドリーでした。ただ他国の監督と交流する機会は少なかったのが残念です」(蔦監督)

賞状
惜しくも受賞は逃したが、映画祭からコンペ部門入選の賞状を受け取った。

次回作は“つたはーん”!?

つたはーん
蔦監督の祖父は高校野球の名門・池田高校の故・蔦文也監督。地元徳島では「蔦はん」と呼ばれた蔦文也監督をモデルに作られたご当地キャラクター「つたはーん」もいるほどの有名人(右は同じく徳島のご当地キャラ・すだちちゃん)。次回作は祖父の半生を振り返るドキュメンタリーになるという。

蔦監督は現在、新作の製作中。祖父である高校野球の名将・蔦文也監督の半生を追うドキュメンタリーだという。「仲間たちと映画集団ニコニコフィルムを立ち上げ、自主製作&配給がモットー。『祖谷物語 ‐おくのひと‐』も2年、3年と長く愛される映画になればと思ってます。今回、多数の映画祭に選ばれたというのは自分たちの活動が間違っていなかったという自信にもなったけれど、より多くの人に観てもらえるように、今度はカンヌベネチアベルリン三大映画祭も狙えるような作品を作っていければ」(蔦監督)。ニコニコフィルムの活動に注目だ。

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