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男女の性差を越えた美を創造したジョルジオ・アルマーニ

映画に見る憧れのブランド

ジョルジオ・アルマーニ
Feng Li / ゲッティ イメージズ

 男性がオシャレ着としてスーツを着たり、働く女性がメンズライクなスーツを着たりするのは、今でこそ珍しくありませんが、ジョルジオ・アルマーニ以前に出回っていた既製服のスーツは堅苦しく、誰が着ても同じに見えてしまうものでした。また、現在キャリアウーマンが着ているビジネススーツを流行らせたのもアルマーニ。

 平凡な中産階級出身で縫製も学んでいない彼が、どのようにしてモード界の帝王と呼ばれるまでに至ったのか? 今回は、アルマーニにまつわる6つの転機をご紹介します。

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1:父親はファシストとして投獄

ジョルジオ・アルマーニ
まだまだ現役!ジョルジオ・アルマーニ - Pietro D'aprano / ゲッティ イメージズ

 今年7月に84歳を迎えるアルマーニ。ムッソリーニ独裁政権が力をふるっていた時代にイタリア北部の小さな都市に生まれました。父はファシスト連盟の事務職に就き、母は社会活動に積極的な主婦だったといいます。そのためか、戦時中にも関わらず幸せな幼少時代を過ごした彼ですが、第二次世界大戦後、ファシスト事務所で働いていた父が逮捕され、8か月間服役することになります。11歳のアルマーニはこの辛い現実から逃避するために映画館へ通い詰めました。そんな彼が一番好きな映画はルキノ・ヴィスコンティ監督の『郵便配達は二度ベルを鳴らす』(1942年)なのだそう。

2:医学部、兵役を経て百貨店勤務へ

 父が刑務所から出所し、一家は田舎町からミラノに引っ越します。父は無事職を見つけましたが、一家は決して裕福ではなく、つつましやかな中産階級の生活を送っていました。やがて、アルマーニは国立ミラノ大学の医学部へ入学。しかし、解剖学の実技をきっかけに医学が自分に向いていないと自覚し、退学します。兵役を経て友人に紹介された先が、ミラノの大手百貨店リナシェンテの広報部。この頃、イタリアの百貨店のファッション性は低く、個性のない服や雑貨を売っている小売店という位置づけでしたが、リナシェンテはアメリカやスイスの百貨店をお手本に、上流階級のモードを中間層に広げようとしている矢先でした。ちょうど時代は、大衆文化や中間階級の台頭の影響で、特権階級だけが買えるオートクチュール(高級仕立て服)の衰退が始まった頃。アルマーニは同店の写真撮影から、ショウウインドウのデコレーションや紳士服の買い付けまで幅広い業務に携わりました。

 1963年に退職した後、テキスタイルメーカーのセルッティで、これまで例のなかったテーラー仕立ての紳士服の既製服ブランドヒットマンのデザインアシスタントに着任。既存のジャケットの構造をすべて解体し、自由に動きやすくしたアンコンジャケット(アンコンストラクテッドジャケット=非構築的ジャケット)は、年齢に関係なく若々しいイメージを与え、メディアから注目の的に。やがて他ブランドのデザインも手がけるようになったアルマーニのコレクションは大盛況となったのです。

アメリカン・ジゴロ
映画『アメリカン・ジゴロ』より - Paramount Pictures / Photofest / ゲッティ イメージズ

 リチャード・ギア主演の『アメリカン・ジゴロ』(1980)は、ビバリーヒルズのマダムたちを相手にするジゴロ、ジュリアンが殺人事件に巻き込まれるサスペンス。ジュリアンが身を翻すたびにふわっと舞う、しなやかなジャケットやシャツは空気のような軽さ。身体に自然に添ったジャケットの作りは、男性がもつ元々の体形、そして所作さえも美しく優雅に見せました

 特に、ジュリアンがクローゼットからシャツ、ジャケット、パンツ、ネクタイを取り出してコーデをしていくシーンに注目。ベージュ、カーキ、グレーを混ぜ合わせたようなグレージュカラーはハッと息を飲むほど美しいのです! アルマーニの特徴であるアンコンジャケットやグレージュはメンズスーツにカジュアル感を与えて、オシャレ着へと格上げしました。

アメリカン・ジゴロ
Paramount Pictures / Photofest / ゲッティ イメージズ
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3:後にエイズで亡くなった恋人と起業

 1970年代初頭、アルマーニは10歳年下のセクシーな男性、建築デザインの仕事をしていたセルジオ・ガレオッティと出会います。恋人となった二人は、ジョルジオ・アルマーニ株式会社を設立し、ガレオッティがマネジメントを担当し、アルマーニがクリエイターに専任しました。

 「“愛”というひと言でくくってしまうのでは物足りない。僕たちは、人生や世界に対して、とことんまで共同で責任を負っていたんだ」とアルマーニ自身が語ったように、外見も中身も正反対の二人はお互いの足りない部分を補いながら、ビジネスを成功させていきました(レナータ・モルホ著『ジョルジオ・アルマーニ 帝王の美学』)。

 いつしか、二人の愛情はプラトニックな友情へと変化しましたが、ガレオッティが1985年にエイズで亡くなるまで、パートナーシップは続いたそうです。当時、人気俳優のロック・ハドソンが亡くなったばかりでしたが、エイズのことは広く知られていなかったことから、心不全が死因だと公式には発表されました。

 アルマーニを1年間追ったドキュメンタリー映画アルマーニ』(2000)では、アルマーニがガレオッティとの出会いを語るシーンもあります。成功の影に潜む強烈な努力と孤独……。クリエイター、そして人間として、ありのままのアルマーニを感じることができます。

4:パワースーツの大ヒット

 1980年代後半に大ヒットした『ワーキング・ガール』(1988)は、メラニー・グリフィス演じるテスが投資銀行の秘書からバンカーへ上りつめるサクセスストーリー。ビジネスウーマンとして成長していくうちに、テスの外見がダイナミックに変身していく様子も物語にスパイスを加えています。

ワーキング・ガール
映画『ワーキング・ガール』より - 20th Century Fox / Photofest / ゲッティ イメージズ

 テスがまとったメンズライクなスーツはアルマーニの服ではありませんが、アルマーニが流行らせたスタイル。着る女性に威厳を与えるパワースーツは、働く女性の間で大ヒットし、女性のキャリア進出を手助けしました。

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5:初めてレッドカーペットに参入したデザイナー

 ウディ・アレン監督作『アニー・ホール』(1977)でアカデミー賞主演女優賞を受賞したダイアン・キートンが授賞式で着たジャケットはアルマーニドレスは誰が選んでる!?レッドカーペットの知られざる舞台裏【第9回オスカードレス編】でもご紹介しましたが、映画スタジオの衣装部門のデザイナーがレッドカーペットの衣装を提供する時代が終わった後の1960年代~80年代までは、スターが授賞式の衣装を自前で調達し、思い思いの格好をしていました。その結果、多くのスターたちは衣装をメディアから酷評されてしまいます。

キム・ベイシンガー、ジョディ・フォスター、デミ・ムーア
酷評を受けた女優たち……左からキム・ベイシンガー、ジョディ・フォスター、デミ・ムーア - Ron Galella, Ltd. / WireImage / ゲッティ イメージズ - Jim Smea / WireImage / ゲッティ イメージズ

 例えば、1990年の第62回アカデミー賞授賞式のキム・ベイシンガー自身がデザインした片袖のドレスで登場しました。このときのドレスとミシェル・ファイファーが身につけていたアルマーニのドレスは比較され、苦悩とエクスタシー(Agony and Ecstacy)(ハーパーズ バザー誌WEB版)と新聞のヘッドラインを飾りました。

ミシェル・ファイファー
アルマーニのドレスで登場したミシェル・ファイファー - Ron Galella, Ltd. / WireImage / Getty Images / ゲッティ イメージズ

 『アメリカン・ジゴロ』で衣装協力の宣伝効果を実感していたアルマーニは、アメリカでの市場を拡大するために、戦略的にハリウッドスターへの衣装提供を始めました。ジョディ・フォスター、ミシェル・ファイファー、ジュリア・ロバーツダスティン・ホフマンジャック・ニコルソンなどそうそうたる顔ぶれが映画祭の授賞式にアルマーニの衣装で登場し、90年代前半頃まではアルマーニがレッドカーペットの衣装をほぼ独占していたのだとか。現在まで、アルマーニが衣装協力をした映画は約300本以上にものぼるそうです。

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6:ヴェルサーチとの確執

 1980年代前後まで、パリ・オートクチュールの生産基地としてしか認識されていなかったミラノ。アルマーニの大成功は、ミラノコレクションにスポットライトをあてました。その結果、アルマーニに続き、ジャンニ・ヴェルサーチジャンフランコ・フェレが大人気となり、この3人はミラノモード3Gと呼ばれました(久保京子著『わたしたちは、こんな服を着てきた』)。

 とりわけ、ヴェルサーチはアルマーニの最大のライバルだと言われ、メディアを通じて二人の舌合戦が繰り広げられました。というのも、穏やかな色彩を守り、男性的な服をあえて女性に着せることによってセクシーさをアピールするアルマーニとは対極に、ヴェルサーチは派手な色彩にパンクテイストをとり入れることによって女性の官能を強調したからです。

ジャンニ・ヴェルサーチ
最大のライバル、ジャンニ・ヴェルサーチと彼の死後、ブランドを引き継いだ妹のドナテラ - Rose Hartman / Archive Photos / Getty Images / ゲッティ イメージズ

 「まるで田舎の狼を喜ばせるストリップショーじゃないか」とアルマーニがヴェルサーチを非難すると、アルマーニのスーツを着たエリック・クラプトンを「ミュージシャンなのに、まるで会計士みたいな格好だ」とヴェルサーチが応酬するなど、二人の論争はファッション雑誌の誌面を何度も飾ったのだとか。とはいえ、ヴェルサーチの才能は十分認めており、いつしか彼のことを自分にないものを持つ片割れ(レナータ・モルホ著『ジョルジオ・アルマーニ』)のように思っていたアルマーニ。1997年に連続殺人鬼に銃殺されたヴェルサーチの葬儀には、こわばった顔で哀しそうに参列していたそうです。

 
 42年前の創業以来、超一流デザイナーとしての地位を不動のものにしたアルマーニ。巨大企業グループから独立独歩を続ける彼の服は、服そのものが個性を主張するのではなく、着る人が自身の創造力を発揮して着こなせるニュートラルな色合い、着心地のよい素材とシルエットに意義があるのです。そんなアルマーニが影響を受けたのはシャネルとサンローランなのだとか。

 「彼らは、現代人のライフスタイルに歩み寄るかたちで、ファッションの現代化をはかった。新たなコンセプトの服を身につけることによる、これまでと違った生き方ができるようになったんだ。要するに、単に服をデザインしたのではなく、社会そのものをつくりだしたといえるのではないだろうか」byジョルジオ・アルマーニ(レナータ・モルホ著『ジョルジオ・アルマーニ』)。

 男性のスーツには女性的な柔らかさを加えて着心地をよくし、女性のスーツには男性的なラインを加えてプロフェッショナルに見せたアルマーニ。アルマーニが歴史に残したスタイルーーそれは男女の性差を越えた美しさなのです。

【参考】
OTOKOMAE男前研究所
BAZAAR
日本経済新聞出版社『ジョルジオ・アルマーニ 帝王の美学』 レナータ・モルホ著 日時能理子・関口英子訳
ディスカヴァー・トゥエンティワン『わたしたちはこんな服を着てきた 久保京子の大人のおしゃれブック』 久保京子著

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此花さくやプロフィール

此花

 「映画で美活する」映画美容ライター/MAMEW骨筋メイク(R)公認アドバイザー。洋画好きが高じて高3のときに渡米。1999年NYファッション工科大学(F.I.T)でファッションと関連業界の国際貿易とマーケティング学科を卒業。卒業後はシャネルや資生堂アメリカなどでメイク製品のマーケティングに携わる。2007年の出産を機にビジネス翻訳家・美容ライターとして活動開始。執筆実績に扶桑社「女子SPA!」「メディアジーン」「cafeglobe」、小学館「美レンジャー」、コンデナスト・ジャパン「VOGUE GIRL」など。海外セレブのファッション・メイク分析が生きがいで、映画のファッションやメイクHow Toを発信中!

 
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